浄土宗の教え
浄土宗の教えは、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と「お念仏」をとなえて「阿弥陀仏(あみだぶつ)」の「極楽浄土(ごくらくじょうど)」へ生まれゆくこと(往生=おうじょう)を願う、というものです。
この教えは、浄土宗を開いた法然上人が長い修行の末にたどり着いた、「南無阿弥陀仏」とただ一心に称えることにより、すべての人々が救われるという、専修念仏(せんじゅねんぶつ)という教えに基づいています。
法然上人
浄土宗を開いた法然上人は、平安時代の末、長承2年(1133年)、美作国(岡山県)に武士の子として生まれました。9歳で父親を殺された法然(幼名勢至丸)は、父の遺言により出家し比叡山に登ります。
その時代は戦乱の世。飢饉や疫病、天災により人々は不安と混乱の中にいました。学問や厳しい修行で「さとり」を開こうとする仏教は困窮する民衆からは遠い世界のものでした。
そうした既存の仏教の教えに疑問を持った法然上人は、比叡山を下り求道生活を送っていました。そして、中国・唐時代の善導大師(ぜんどうだいし=613-681)の著書から、お念仏こそすべての人々が救われる、という専修念仏(せんじゅねんぶつ)の道を見出したのです。こうして、承安5年(1175)春、浄土宗は開かれました。
お念仏
私たち人間はみな弱い存在です。富や名声、強靭な肉体や精神力、明晰な頭脳を持った人であっても、欲望や感情を完全にコントロールすることは難しいものです。「思い通りにならない」ことから生まれる悩み・苦しみに私たちはとらわれています。
法然上人は「仏の慈悲により、煩悩に満ちた罪深い者(凡夫=ぼんぶ)こそが救われなければならない。」とし、そのために誰にでもできる方法として、声に出してお念仏をとなえることを説きました。
法然上人が生きた時代も今も人間の本質は変わりません。
ありのままの自分を包み込んでくださる阿弥陀さまに掌を合わせ、お念仏をとなえましょう。お念仏をとなえることで阿弥陀さまがお導きくださり、感謝の気持ちや他者への思いやりの心が生まれてくることでしょう。