成り立ち
当寺は仏法山大網寺大巌院といいます。
開山は雄誉上人で、慶長8年(1603)に安房国主里見氏9代義康の帰依により、大網一村を寺地として与えられ、大巌院を創建しました。また里見氏10代の忠義も雄誉上人に帰依し、戒を授かりました。
江戸時代、大巌院は42石の寺領を有し、末寺22ヶ寺を擁し、安房における浄土宗の触頭(幕府の寺社奉行から出された命令を伝達する寺院)でした。当初の本堂は雄誉上人が建てた間口15間、奥行13間の大本堂でしたが、現在の本堂は安永元年(1772)に第8世到誉俊察上人の代に茅葺で間口9間、奥行8間、向拝3坪の本堂を再建したことが棟札から分かります。
昭和39年(1964)に本堂を改築して茅葺を瓦葺にし、開創400年記念事業として、平成11年(1999)に客殿を建立、平成14年には納骨堂を建立しました。
開山上人
当寺の開山は檀蓮社雄誉上人松風霊巌大和尚(だんれんじゃおうよしょうにんしょうふうれいがんだいかしょう)といいます。
天文23年(1554)に駿河国沼津(静岡県沼津市)で、今川家一族の沼津土佐守氏勝の三男として誕生しました。11歳で浄運寺(沼津市)に入り出家し、15歳で大巌寺(千葉県千葉市)に入寺し研鑽を重ね、天正15年(1587)大巌寺3世住職となりました。
天正18年に故あって大巌寺を辞し東海道方面に旅立ち、南都に霊巌寺(奈良県奈良市の霊巌院)などを開創しました。その頃伏見城に滞在していた徳川家康より大巌寺再住を命じられ、文禄2年(1593)に大巌寺へ戻り、五井領主松平家信の援助を得て堂宇の改築をしました。
慶長8年(1603)再び大巌寺を辞し、伊豆大島、安房を巡教し、安房国主里見義康の帰依により大巌院を創建しました。
慶長18年、内藤政長の請いにより佐貫(千葉県富津市)善昌寺(内藤氏の転封に伴い、善昌寺は磐城・延岡に移転)に転住しました。寛永元年(1624)茅場町の沼地を埋め立てて霊岸島(東京都中央区)を築き、霊巌寺(明暦の大火後に深川へ移転)を創建しました。
寛永6年、将軍徳川家光の命により総本山知恩院32世となりますが、寛永10年知恩院が火災に遭うと、家光から諸堂再建を命じられました。寛永13年に大洪鐘を鋳造しますが、除夜の鐘で中継される大洪鐘です。寛永18年(1641)現在国宝に指定してされている御影堂をはじめとする諸堂の造営が成就すると、御礼のため江戸へ下向し、江戸城で法談を行ないましたが、9月1日江戸霊巌寺で88年の生涯を閉じました。
年間行事
1月28日 初不動
2月15日 涅槃会
4月8日 花まつり
6月第1日曜日 施餓鬼会
10月1日 開山忌